間宮林蔵が幕府隠密という話から [仕事の管理]
間宮林蔵は、対露諜報係の隠密でした。もちろん幕府隠密です。
隠密が忍者のように考える人がいますが、スパイですね。
それはずっと日本人皆知っていたのではないでしょうか。
いつからみんな知るようになったですかね。
死んだのが天保年間ですから、開化後でしょうね。
日露戦争なんてあったころは意識的に英雄視したんだろうと思いますね。
明治時代に金田一京助が樺太(サハリン)まで乗り込んでアイヌ語の研究ができたのも、間宮林蔵のおかげです。
あの人がいなければ、この地域にそういう専従民族が居てどのように生活していたか、誰も記録しませんでした。
歴史がなくなっていたところだった。
ものごとはいろいろと絡んでいるものです。間宮林蔵と金田一京助はすぐに結びつかないでしょう。
伊能忠敬が日本全図を作ったとき、間宮林蔵が最後は手伝っていたという話が出てきました。
これで歴史がくつがえったというような表現をする人もいるようです。
一体何が問題なのでしょう。
伊能忠敬がたった一人で誰の手伝いもなくあれを実現したら英雄だけど、そうでないなら、ちょっとがっかり?
もちろん他人の成果を自分のものにしようとしたわけではないから苦言は言えるわけないというのはわかっている。でも・・・
私は驚きもしないけど、そのほうが変でしょうか。
もともと伊能忠敬ひとりで歩いても何もできない。
なぜかというと測量装置を設置して水平線を調整したりはひとりではできない。
必ず2人以上のメンバーでやったに決まってます。
こういう仕事は絶対ひとりではできません。
万が一、立てたポールを握りながら数メートルはなれたところのトランジットで覗き測量をひとりでするものがいたら、それは曲芸と言います。
伊能忠敬のカラダはひとつしかないのです。
まだ初心者のうちに測量した、未熟で出来栄えのよくない蝦夷付近を、スキルがあがってから構築した手法でやり直すのに最優秀の弟子およびその部下に頼んで当たりまえです。
パートナーも誰もいないでたった一人で仕事をすることを、金を払う幕府が指示するわけないじゃないでしょうか。
この騒ぎで思い出すことがあります。聞いてください。
アルベルト・アインシュタインが論文を書くとき、妻が計算を手伝っていたと言う話題が出たことがあります。
30年ちょっと昔だと記憶します。
このときは、伊能忠敬より極端で、失望したとか、あの天才がと思うとがっかりだ、という言葉をたくさんききました。
数学もできなかったのか、みたいな。あるいはカンニングをしたみたいな。
私は大学院で物理学をやったもので、彼の全集は拾い読みしてきています。
とりわけて驚きだったのは、ブラウン運動に関する論文です。
あの恐るべき数式の論理展開は裸足で逃げ出したくなりました。
これが、女房の手伝った仕事だと聞いた瞬間にほっとしました。
まっとうな人間だ、血の通う、と思ったのです。
あれだけの天才的発想をするのだから、数学ぐらい不得意で当然です。
天は二物を与えずといいます。あらゆる面で完璧なら、絶対に若死にします。
計算なんかしている暇に論文の構成を考えたほうが時間のムダにはなりません。
ファインマンも計算は嫌いだと公言していてこの人も私は好きだった。
計算が嫌いだからごまかしてしまう特技が「演算子法」です。
あの異常な形状のファインマン・ダイヤグラムの効果はすごかった。
もし計算が大好きな連中だけ集まっていたら、ラプラス変換も発明されずトランジスタの開発なんかできなかった可能性があります。
たったひとりでする仕事を何か価値のあるように考えるとすれば、それは、自分以外の誰かにすべての責任を持たせて思考を停止させる方向ではないでしょうか。
間宮林蔵に戻りますが、隠密もたった一人でやるイメージがありますが、そんなわけはありません。
諜報ですから、情報のトラフィックを励起しなければなりません。自分に聞こえてくるような仕組みをつくることが仕事です。
要するに、人間はひとりきりでは生きていけないのですね。
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