原発もんじゅの事故処理について [品質]

もんじゅの監視カメラが1/3故障のまま放置と言う話ですが、気を付けたいことがあります。

原子力発電なので、否定したい、という意識が前に出ると、肝心なことを見ない可能性があるということです。
ツイッターなんかではそういう、まあ感情的な意見が飛び交っています。
そして、廃炉にせよ、とか税金の無駄遣い、という方向にどんどん拡散しています。

これだと、本質的なことを見失ったままの否定演説にしかなりません。

問題は、
・点検をしているのか、
・事故発見をデータとして取っているか、
・対処処理を検討した資料が残されているか、
・処理方針通りに実行した結果をとり再試験しているか
ということにあります。

この話は北海道のJRの路線管理でも全く同じことなんです。
あちらは、脱線したりはしましたけど、死者がでたわけでないし、原子力でもないから、いい加減な企業体だ無能だという程度で噂がやむのです。

これが問題です。
牛乳を作る場合でも、あんころ餅を作る場合でも全く同じことなんです。
賞味期限が問題のあんころ餅を冷凍しておいて、日付を違えた印刷をして売る、処分品はなかったことにする、というのを原子炉に置き換えて考えたら全く同じ話だと分かります。

一番の問題は、「なかったことにしよう」の感覚です。
あったら叱られるから隠そう。これは小学生が悪い点数の答案をこっそり机の中に隠し、親に見せないという感覚と全く同じです。
発見をされなければ小言をくらうことはありません。
でも、そんなことを繰り返していたら成績は悪くなるし、三者面談かなにかで教師から強く言われることになります。

ソフト開発などの場合、バグを作ったとかまだ減らないと言ってプログラマを責める現場がまだまだあります。
責められるから、当人は、これは軽いものだから報告しないでおこう、とか、ケアレスミスだからバグでない、と自分に言い聞かせて報告をしないようになります。
これは当然、品質を悪くします。出荷後に対顧客で問題を引き起こします。
障害を発見してくれたら発見者をその数で褒めなければいけません。
発見してくれたら対処のしようがあり、それを記録することができます。バグをこしらえた人間はそれを改修したら、褒めなくていいけどご苦労さんです。
そうしないといけないのです。

これは原子力でも同じです。
だめだ、だめだ、だから否定だ、やめろつぶせ、ばかり周辺で言うと、担当者たちは、ものごとを隠そうという感覚になります。
発電所関係で、不穏な感じ、ゴリ押しで再開させようとたくらんでいる感じ、政界と癒着している疑い、みたいなものは、当人たちが隠そうとするから起きるのです。

全部のデータをオープンにする意識を、発電所側も電力のユーザー側もすべて共有して持たなければいけないのです。


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