通州事件 真実とは [歴史]

「昭和12年の週刊文春」という新書版の本があります。
もちろんその時代にその週刊誌はないのですが、「話」とかいう月刊誌が出ていて、ときの話題や俳優やアイドルの情報、こぼれ話を編集したもので、週刊誌と同じような形です。
その時代のその雑誌群から編集しなおしたものです。
一度読む価値はものすごくあると思います。

この中に通州事件の顛末のドキュメンタリーレポートがあります。
生き残ったひとたちにヒアリングをして記載しています。

要するに中国人の集団が青竜刀だとかその手の凶器をもって当時満州、というか北京の北西部に住んでいた一般人の町を襲い虐殺をしたという話です。
これご存じの人すくないのではないかと思います。
いきのこりの人たちは、一緒に住んでいた中国人にかくまわれたりしてなんとか命を保つことができた。

南京事件だとかあの手のものを中国は喜んで蒸し返し、日本の非道だと主張したがっています。
同じような気持ちを持っている韓国もそれに乗って日本をワルモノにするのが楽だからやっています。

でもこの昭和12年の週刊文春のようなものを読んだら、朴大統領、中国の主席と並んで笑っていられるかどうか。

日本人は全部殺せと騒ぎながらあばれこんできたのですね。
そこにいた人間で、金さんとか、明らかに日本民族でない名前のひとたちがいた。
もちろん当時は日韓併合ですから、かれらも日本人ということで襲われた。
で、金さんは「きっちり論理だてていわないで暴力は何事だ」と反論し、お盆で立ち向かったりしたのです。
そして青竜刀でまるでスイカのように頭を割られた、という現場生存者の話があります。

要するに中国人が韓国人を虐殺しています。
日本人も虐殺しています。

投稿で、こういうわけのわからないことをする国民と対等につきあえるのかという苦情がわんわん来ています。
制裁が必要であると言った人もいます。
まるでツイッターのようです。

これは南京事件よりちょっと前の話です。

何故こんなことが起きたか首謀者は誰だったか、は不明です。
が、仮説で言われているのは、当時は中国は国民党軍と共産党軍の2つがあって共存できない戦いをしていた。
東北部で日本軍と対峙している国民党軍と日本軍の間でトラブルをおこさせようとして、共産党軍が国民党配下の民間人をたきつけたのではという推論です。
張作霖というのは国民党軍ですから、あの事件も陰でたくんだのは共産党ではないか。
それは単なる想像ですから、事実はわかりませんが、共産党軍はいまの中華人民共和国ですね。

日本人は戦後、おそらくいままで、この事件をネタに中国に歴史認識を改めよなどと言ったことはありません。
言ったら、もうその当時の世代でなくなっている隣国に難癖をつけるだけだと思うし、そもそもそういうことを言うのは品性にかかわると思うのが日本人です。

過去に、『天皇さまが泣いてござった』という書物があってこの事件を歴史的なものとして記録したものがあるようですが、この本は再販もしていません。
もしやったら中国人が何を言い出すか。それを考えたら黙っていたほうが無難です。

韓国人で、自分の国民が中国人に虐殺された歴史を知っているものがどれだけいると思いますか。

従軍慰安婦で日本をワルモノにして世界にひろげようとしている最中に、朝鮮戦争時に米兵相手の慰安婦にされた補償を求める裁判をされています。
矛盾というか、継ぎ目がわからなくなっています。


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桂宮宜仁親王殿下 葬儀 [歴史]

皇室のことはあまり普段考えませんけど、三笠宮家の3兄弟は、それぞれが別々のアピールで活動した人なのではっきり区別がつきますね。

この桂宮は、1948/2/1生まれです。66歳で死去です。
弟の高円宮憲仁親王は1954/12/29です。 47歳でなくなってしまった。
三笠宮寛仁親王は長男で、ヒゲの殿下と呼ばれていた人ですが、1946/1/5生まれで、66歳で亡くなりました。

この3兄弟の父親になる三笠宮崇仁親王という人は、昭和天皇の弟ですけど、1915/12/2生まれで98歳です。

3人の息子をすべて自分より前に無くしてしまうというのは、さすがにどういう悲嘆か、想像にあまりあります。
事故や戦争ではなく、病気であるというのは、覚悟ができているものだろうとは言えますが。

葬儀には出席できないしきたりになっているらしいのですね。

思い出したのは、学生時代の同級生がなくなったときのことです。両親は健在だったのです。
で、火葬場に行って骨を拾うということが、この両親はできないのだと聞かされました。
生々しいところがありますからわからないではありませんけど、親の葬儀の際は棺を担ぐことも骨を拾うこともやります。
こういうしきたりは、古文書にいろいろ規定してあるのでしょうけど、調べればわかるのですけど、なんとなく知っていなければいけないと思わないのでそれきり。
困ったものだと思います。

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流しそうめん機という話、思い出 [歴史]

流しそうめんというものは、もともと竹の樋を組み合わせて上流からさささ、と流れてくるものをすくって食べるという意識のもんでした。
うまく救えないで下流にいくと、もう食べられるものではない、ああもったいないという話。
そして、ある程度上流でとらないと、他の人の箸を潜り抜けてきたものだから、なんとなく不潔だという思いもあります。

それが頭に刷り込まれているから、機械とかおもちゃでこれをしようとしたとき、ポリエチレンのパイプをつなげようとしたりしたものです。
うまくいくわけないのは当然です。
そうめんが途中でせき止められて、そこから水がこぼれていく。そうめんもだらだら落ちてしまう。
途中で血栓みたいにとどまっているものを下に流そうとして菜箸を突っ込んだりすると、どぶんといきなり落ちて傾いたところから下にべたっとたたきつけられる。
何しろ、本当の流しそうめんは外でやっていますが、これは座敷の中ですから、畳や絨毯がたまったもんではない。

参加者みんな我慢して、せっかくやってくれているのだから喜ばねば、と無理に盛り上がろうとしたから疲れた。

改良型は一種の噴水状態で、上流も下流もなくて、一番したに貯められた麺を吸い上げて上から周辺におろす。それを拾って食べる。
食べないで下までいくと、またサイクルで吸い上げられるというしくみ。
これは無駄はない代りに水が汚れて白濁水がどろどろ粘っているものを噴出しているようになり、なんとなく汚らしかった。
はっきり、うまくなかった。

それをふと気が付いた人がいたんですね。
長いパイプなくして、回転ずしみたいにぐるぐる回したらどうかと。
これが発想の妙ですね。
必要なのはテーブルの上の30センチぐらいのスペースだけ。水槽に氷をいれるようにすればきれいで美味であろう。
薬味は中心においておけば本当にきれいで見たかんじ悪くない。 

これ、特許とか実用新案にしていたら、かなりのことになったと思います。

コーナンとかペンギンとか、どちらかというとメーカー名に親しみのないところから売られていて、人気があるようです。

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天安門事件の思い出 [歴史]

天安門事件の記憶は、あの当時パソコン通信といっていたものと一緒にあります。
自分が現場にいたわけではありません。 

あの時代は今みたいにスマホがあるわけでないので、リアルタイム画像を取ることも困難でした。
それと、インターネットはなかった。配信のしようもなかった。
ニュースで噂話のように放送され、戦車の前に立ちはだかる若者の画像なんかは皆がみた。

でも実際に学生が踏みつぶされていったとか流血の状況はいまひとつわからないものでした。

その時代は、パソコン通信というものがありました。
携帯用のワープロというものがあり、ワープロ通信といっていた人たちもいた。
 
情報をまとめるセンターがあって、そこに掲示板みたいに情報を設定し、他の人はそれを読むというものです。 
音声でキャラキャラいいながらやりとりするMODEMで、2400bpsなんていう遅いスピードでやりとりしました。
そのキャラキャラ音声を文字に変換してPCでテキスト表示をしてやりとりしたものです。

直接電話かけてやりますから、電話代がかかります。
今の、ネットでやるブラウザ相手の編集みたいなことをしたら電話代が何万になるかわからないくらいのものでした。

話を戻しますが、この掲示板に、アメリカの人の記事が掲示された。驚いた。
北京にいる息子からの通信を公開したものでした。
当局が察知して削除とか妨害をしないようにKermitプロトコルで送られたとのことでした。
もうこのプロトコルも使っている人もいないような古代技術ですが、おかげで無事情報はアメリカの父親に届いた。

もちろん内容は英語ですが、中国当局がいかにデモ隊をむしけらのように扱い蹂躙したかという状況が生々しく、息が止まる思いをしました。

このとき、技術の進歩というものはものすごいな、と感動したものでした。
いま考えると不思議です。
あの程度のことで、という感覚になっている。

でも、我々はいつでも歴史に立ちあっているんだという思いはありますね。


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平均寿命人間50年を超えたのは何時代か [歴史]

織田信長が「人間50年」と舞ってから明智光秀にやられたという伝説があります。

平均寿命というのを考えるとき、それが50歳を超えたのは戦後だそうですね。

もっとも昔は小さな子供がまともに育たなかった。
はしかでも死んだし、盲腸でも命にかかわったんですから。
いまは、多少の伝染病程度ならワクチンがあるし、抗生物質なんかで結構ひ弱な子でも育つ。
そうなれば平均寿命が上がって当然です。

そういう薬は、子供以外でも効きますから早めに死ぬ人がすくなくなったかもしれない。

でも、心理的なことがあるように思います。

以前、ある有名な自動車会社で聞いたはなしで驚いたのは、この会社の定年は60歳。
60歳で退職したあと、かなりの比率の人が2,3年でなくなるそうだと聞いて驚きました。
病気もちの人はともかく、そんなわけあるのかと感じました。

要するに、「やることがなくなった」という状態は、お迎えを早くするのですね。
定年までは工場にずっとつきっきりで何かすることがあった。
その代り休日はただ休むだけで、自分の世界も趣味も何も育成していない。
子供なんかはいたとしても、その年代になったら大体独立していて、もう手はかからない。
それだったら、本当にこの世の中でやることがなくなる。
 
そういう人生、ありでしょうか。 

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技術発達と一緒に生きる [歴史]

英文タイプは練習しました。

教室で習ったことはないけど独習書があってそれにしたがって、
F FF F FFなんていうタイプから初めてかなり上達しました。
1分60ワードぐらいまでいきました。当時はこれは周辺が尊敬するスキルだった。

これは大学受験に失敗して浪人をすることになったときに父がタイプの機械を買ってくれたからです。
当時はタイプに何級というような資格だったかがありました。
履歴書に英文タイプ何級と書いて少しハクが付くという時代でした。

同じ時代に和文タイプというのがあって、かなりごつい機械でしたが、これができたら秘書として一流で生涯食べるに困らないと言われました。

この時代はそうだったんです。オードリー・ヘプバーンがタイピストで、小説家がしゃべるのをぱちぱち文書にする映画なんかも見ていました。

タイプはきれいに文書ができますけど、ミスをしたら大変で、1ページ全部頭から打ち直しでした。
テレタイプというのは非常に便利なもので、紙テープに文書を打ち込んで、修正するときはそのテープを読ませながら直す場所までコピーしてそこでタイプすればよかった。

Word Processorというソフトウェアが出現しました。
これはコンピュータの中で文書をつくり保存するので、一度作ったものを一か所なおしたり、段落を入れ替えたりするのができるようになった。

そして日本語ワードプロセッサーが出現したのです。
おどろいたことにカナでタイプすると漢字に変換してくれるという革命的な機能を持っていた。
でもとんでもなく高かった。

普及し出すと、これにも資格が発生しました。
日本語ワープロを操作できたら一人前の秘書だと言われた時期もあります。

パソコンというものが普及すると、ワープロは大変安いものになり、誰でもできるのが当たりまえになった。

かつて和文タイプの修練をし能力を勝ち取った人はそんなに古代人ではなく、せいぜい今60台でしょう。
かれらの人生設計計画は大幅に狂ったのではないでしょうか。

技術発達というものはものすごく早く、まばたきしているうちに別のものが現れています。

大変面白い時代に生きていると思います。


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