先っぽシンドローム [ものの見方について]
先っぽシンドローム、というのは、爪やまつ毛や、カラダの末端の部分に凝ることだという話です。
ネットをサーチしていると、ちょっと気に入らない説明が散見されます。
説明自体はこんな風になされていることがおおい。
・ある年代になると、女性は顔や外見で評価されなくなってくる。
・そこで、自分で見られて丁寧に細工のできる末端の手入れに神経がいくのである。
「見た目で勝負できないから」というような失礼きわまりないことをいっている人もいます。
違う見方を提案したいのでおつきあいください。
何か仕事でもしようというときは、末端的なことを無視しようとしてしまうのがありがちです。
一番大事なのはここだから、ここに不都合がないように、という考え方をするのが普通です。
この考え方の中には、末端の話は無視してくれよ、こんなにおおきいことと立ち向かっているから、と自分自身にごまかしをする気持ちが潜在しています。
姑の嫁いびりでよくある芝居のパタンは、障子の桟を指でなでて、こんなにほこりがたまっているというものです。
あるいは流し場で、こんなに野菜くずがたまっている、とか、パンの耳を簡単に捨てて、というような。
醤油さしの小皿にたっぷり残っていて、もったいない、というような文句もあります。
リンゴの皮を厚くむきすぎだ、とか。
これ、すべて末端的な話です。
ケチをつけるのには末端を扱うと非常に楽です。
神経のいきとどいていないところには大体何か不始末が隠れています。
さて、です。
その末端を丁寧に扱おうとしたとしたら、どういうことになるでしょうか。
末端に使っている神経は大事なものの扱いに反射しませんか。
爪を毎日磨いて調整している人が体は垢だらけで風呂にも入らないなんてあると思いますか。
そこまで極端でなくても、爪が管理できている人間が仕事ができない人だということがあると思われますか。
爪やまつ毛をきっちりしている人が不美人に見えると思いますか、です。
私が言いたいのは、細部に神経を行き届かせている人がちゃんとした仕事をしないことがあるわけがないという経験則です。
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