血液型 性格と嘘 [ものの見方について]

血液型占いといわれているものに関しては異常なくらい感情的な動きがあると思いませんか。
あれはいんちきだという説は何度もでてきており、またまたでたようです。

いわゆる占い、は、信じようがどうであろうがそんなに口汚くいいあうことはありません。

いんちきだまやかしだといっても言われても誰も怒りません。

論理的に考えないでも問題おきていません。

おみくじの吉凶をいろいろ喜んだり残念がったりします。
その科学的根拠なんて誰も議論しません。そもそも根拠ないと思うし。

しかし、割合あたったりします。なぜか。

たとえば大吉の文例
「家族への思いやりをこころがけ運気上昇」
だったら絶対あたります。誰にでも有効なことばにすぎません。

そうでなくても、当たってると思いたければ当たるのです。

朝、来るだろうという電話がこないと思っていたら別口の話がきて仕事上はうまくいったとします。
待ち人来たらず、というおみくじをひいていたら当たってますね。
引っ越しよし、というおみくじだとしても当たってますね。

人生ひとつのことだけ起こるのではなく、いろいろありますから、どれかに当たる可能性は高いでしょう。

これがおみくじがあたる理由です。自分で当てているのです。
誰もこれが科学的ではないなどといわない。

さて、なぜ血液型がこういう大人の世界にいないでぎゃあぎゃあ言い合いになるのか。
今のおみくじの伝でいえば、血液型の占いは当たるはずです。

おそらくひとつは落ち着きどころがないのです。
血液型占星術、だとか、生まれ日血液型、だとか血液型四柱推命、みたいにいったら誰が見てもいんちきくさい。
日本はA型社会だとか、中国はB型社会だとか社会学的なものに展開し、民族判断みたいにしてしまう。
これはいったい何なんだ、という感想は誰でも抱きます。

もう一つはきめつけです。
それが、科学だとか数学を使ってやられる。まさにそこです。
これは占いではなく科学だというふれこみで発表されたということもあります。
発表者が「カイ二乗法で確認した」という話をしたので、わからない高級な理論で確かめたのだ無知なものどもよ疑うな、というイメージがあるのです。

ちなみに、具体的に確認できることを数値化して仮説(帰無仮説)をたて、カイ二乗検定なりf検定なりをするというのは普通の手法です。
しかし、確認できることが数値化できない定性的なことなら成立しません。
A型は几帳面だ、というようにいうとしたときそれは数値化できることでもなんでもありません。
几帳面の定義がはっきりしなければ確認のしようもないのです。

それをしっかりと反論できれば、別に占いだとおもって信じるのはやぶさかでないはず。

要するに、科学、数学という決めつけオフダをおしつけられたので、それは嘘だとか違うことを証明して見せるということになったのでしょう。


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