JASRAC 申請と事後 [制度の問題]

JASRACには、使用したい音楽について、演奏者やコンサート主催者が用紙に記入し申請します。
申請後、支払を行います。支払を確認して申請受理です。
申請受理後は、実際に実行したかどうかの事後報告の書式はありません。
しかし、著しく異なった行動がなされた場合は請求などの法的手続きが行われる場合があります。

詳しくは、JASRACのHPを参照いただけばよろしいです。

でもこの記事では、その申請と支払の根拠についてお話します。

JASRACは日本音楽著作権協会ですね。音楽を使用するときに課金する団体です。

なんか、音楽で金をゆすりとりにくる暴力団のように思う人が多いので、この由来を復習したほうがいいと思います。

JASRACの初代理事長はあの芥川也寸志さんでした。

この人は大正14年1925年生まれなので、年齢は昭和の年号と同じです。

昭和2年に父親が自殺しました。つまり2歳のときです。
大作家の息子だというような尊敬の形をとった差別にさらされる幼年時代が待っていました。

そして、家は大変お金にこまったらしいのですね。
本人が死んでしまったから、印税をろくにはらってくれない。

著作権法は昭和14年に成立しました。
それ以前は大作家であろうとも生きていなければどうにもならない。
出版社は、売れる本を書いてくれたら、また書いてくれるだろうと言う期待があるから印税を届けにきたのです。
門の前にいるブルドッグに餌をやりに来たのと同じ感覚です。
いなくなったらお金が惜しいのです。

それを著作権法が昭和14年以後保護するようになりました。

これを少年時代青年時代の芥川也寸志は見ていた。
そしてこういうことをしなければ芸術家は活動もできなければ家族の安心もないと思った。

で、JASRAC日本音楽著作権協会では、作曲家も作家や画家工芸家に準じて権利があると強く主張するようになったのです。

西洋の音楽家は、王侯貴族にやとわれて教会付きの仕事をもらい生活していました。
どちらかというとプレイヤーとして雇われ、ご祝儀仕事で作曲もしていた。ここで一応ごはんが食べられた。
当人が死んでも作曲した楽譜は貴族が自分のものにして遺族に金をはらったり、遺族を別の立場で雇ったりしました。

民主主義でそういう世界がなりたたなくなると、スポンサーが居てそこに雇われる形に移行しましたが、スポンサーもお金は惜しい。
本業と直結しない、バレーボールチームだとか、オーケストラは廃止されることがあります。

どんな高尚なことをしていると思おうが、食べていかなければ何もできないのです。

一般民衆に雇われて仕事をするには、プレイヤーの前に帽子をさかさまにおいておき、そこにお金をいれてもらいたい。

その音楽が、レコードだとかCDであるなら、帽子をとりにいくわけにいかないから、お値段の中に取り分を配分してほしい。
それが、音楽著作権です。

この話は、間違った言い分ではないと思います。きょう食べていければ明日も音楽を奏でられます。

楽譜とかレコードという話だと、一応そこにモノはありますから、複製したらお金を払えというのはわかりやすいです。

それが電子データになった上、形が全くない状態でクラウドで提供されると、複製数も消費度合もわからなくなる。
でも、それをされるとCDは売れなくなる。
CDの消費に準じて課金したい、というのが最近のJASRACの言い分です。

でも、もうクラウドに対しては人は山から湧き出してくる沢のような、一方的にくみ取ってかまわないものだと思うのですね。
体を使って楽器を演奏したのは1回だけで、苦労はそのときだけじゃないか。作曲の苦労も1回だけじゃないか。

ここで音楽の提供者と消費者に大きな齟齬が生まれているのです。


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