幽霊の正体見たり枯れ尾花心理学の話 [仕事の方法]
このことばを認知心理学なんかでは、このような解釈をしています。
・怖い怖いとおもっていたものが、冷静に見たらつまらぬものだったというような事実がある。
・つまらないものを恐ろしいものに認知したのは間違いであるが
・それを間違いであるかもしれないというのはメタ認知的な視点である。認知自体を認知したのである。
・このメタ認知は、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉を知っているために発動するのである。
これはこれでいいのですが、幽霊の実体が別のものであるという推論をする仕組みの話です。
私は別のことをいおうと思います。
幽霊を見たい心理学、です。
本当は枯れ尾花を見ているのに、幽霊だと思いたい心理学です。
不幸と出会いたい、不運とかちあいたい内心の話です。
自分が不幸だとか、未熟者だとか言い捨てる本心です。
何を言うんだ、と思われるでしょうね。
誰だって不幸にであいたくないだろう。幸せがいいだろう、が一応正論です。
しかし、幸せになるには努力・緊張が必要です。
努力も注意も何もしないで過ごしたら間違いがおこるでしょう。不運の方向にいきます。
しかしながら、それは何もしない結果ですから疲労しないでしょう。
なんておれは不運なんだろう、とか、降ってきた不幸とたたかっていると言いたがるのは、何もしていない言い訳です。
言い訳しながら逃げていたら楽です。
本来ならもっといい暮らしになっているはずなのに、あれのせいこれのせいで苦労していると言ってたら自分に酔います。
何もしていないのに、何かと戦っているという幻想に酔えるのです。
こんなおいしいことはないです。
自分は天才ではない、若輩である、未熟である、といっていればどんな結果が出ても言い訳になります。
未熟であることが犯罪であるとは思おうとしないのです。
これに気付いている人と全くその視点のない人の2種類に人間は分けられると思いませんか。
その比率は2:8ぐらいかなと思っています。
店をやっている人間でも、サラリーマンでも、幽霊を見たい人間が8割いるのではないでしょうか。
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