ばくちで勝つ方法 [ものの見方について]

江戸時代に流行った丁半ばくちを考えてみます。

胴元の取り分とか、とりあえずあまり留意しないで考えてみましょう。

一回一回は勝ち負けがあります。
確率で考えると50%です。だから参加者はみんな損も得もないはず。
でも、儲ける人間と損する人間が必ず現れる。

感覚的に想像がつくのは、お金に好かれているように増やす人間と、いくら払ってもとられる貧乏指向みたいのがいるだろうという話です。
お父つぁん、やめておくれよとすがる子供を蹴倒してお金を持ち出し、どうせ入るもんかなどとかみさんに怒鳴られている光景。

これ、出来がいいといえない時代劇ですけど、よく考えてみるとなぜこうなるかわかります。

要するに、1セッションをどこでやめるかです。
貧乏神につかれている人間は、必ず完全な負けの状態でやめる、というかやめざるを得なくなる。
ゼロになってすごすご帰る。 
それが続くなら貧乏神が居座ります。
ゼロになってから取り返したくなって女房のへそくりまで持ち出す。

おそらく、儲ける人間は、儲けた状態でやめる。
やめたときは常に何かプラスになっているところで止めている。
とすると、それを重ねると何度かやったときには資金は必ず増えています。

確率としては、貧乏神の人も勝つことはあるはずです。そのときどう考えるか。

江戸時代のお金だと説明が実感がなくなるので簡単にいまのお金で考えましょう。
仮に掛け金を1000円と考えましょうか。
仮に10円儲かったとして、10円で辞めるという理性が働かない。
100円にしたい、1000円にしたい、10000円にしたい、と考える。
1010円をもとに、もう一度やる。

幸いにも勝てて2000円になったとする。
ここでとめないでまた掛ける。

繰り返すと、どこかで負ける瞬間が発生します。
5100円になったとき、5000円をかけたら負けた。100円になってしまった。

さっきあったお金がなくなったから取り返そうと考える。
実は錯覚で、さっきあったのは1000円なので、負けた金額は900円です。
でも、5000円を失ったと思うのです。5000円を取り返したいと考えるのです。
そして、できれば10000円にして帰りたいと希望する。

こういうことを繰り返すと、どこかでゼロ円になって、止めざるを得なくなる。
これが貧乏神がとりついた話です。

振り返ってみたら5100円になったときやめればよかったのです。
でもその瞬間はそれが倍になると考えてるのでやめられない。

実際には10円とれたときにやめていても傷はありませんでした。

要するに、もうかっている状況でやめれば、損になることはないのです。
 
これは、そのばくちに人生をかけていないということです。
負けたときはやめない。勝ったときのどこかでやめる。それならいい。
必ず勝った時にやめるということをしていたら、長い人生の中ではお金は増える一方です。 

欲をかかなければいいという言われ方をするのはこの事情ですね。





タグ:ばくち
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